第40章/ヨウコ・マ・ベル

第40章 ヨウコ・マ・ベル

 大会前夜、なかなか寝付けなかった…告白するチャンスはあった。しかし、断られたら一緒に練習するのが気まずくなるからと逃げていた。今までは練習という名目で洋子に会えたが、何も行動を起さなければ、もう会えなくなる。そう思うと切なくなった。恋は甘いと言うが、それは嘘だ。想えば想うほど、恋は切ない。
 気の早い秋の虫たちが、演奏会を開催していた。コオロギのコロコロリーという合奏。馬追いのスイーチョンという独演。邯鄲(カンタン)のリィリィリィーという合唱。何の葛藤もなく恋の曲を奏でている虫たちが羨ましかった。虫たちのノクターンを枕曲にして、夜が更けていった。

 緊張のせいで、朝5時に目が覚めた。2度寝しようと布団を被ったが、悶々(もんもん)として寝れなかったので、ラジカセのスイッチをいれた。
 ビートルズの「ミシェル」が流れてきた。イントロのアコースティックギターは落ち着いた響きで心地よかった。メトロノームのようなリズムを刻むドラムにつられて、自然と首が左右に揺れた。何だか頭がメトロノームの針になったような気分だった。
 自分の恋心に置き換えて、サビの部分で「ヨウコ、マ・ベル♪」と替え歌を口ずさんだ。そう言えば、ジョンの恋人もヨウコだったなと思った。もし、この楽曲を作っている時に、二人が恋に落ちていたら、曲名はミシェルではなくて「ヨウコ」だったかも知れない。
「ヨウコ、マ・ベル。僕は君に恋してる」
「ヨウコ、マ・ベル。僕を好きだと言ってくれ」
「ヨウコ、マ・ベル。そしたら、君は僕の恋人」
 そう口ずさみながら、洋子を想った。今日が最後のチャンスだ。しかし、いざ告白という時に勇気を出せるだろうか。自分自身に不甲斐なさを感じたが、「やるしかねぇ。やるしかねぇんだ」と自分に言い聞かせた。

 朝食の時間が近付いたので、台所に行くと、母が朝御飯の準備をしていた。いつものように、トマトとキュウリを取りに裏の畑に行った。畑で空を見上げると、ウールの刈り頃のような羊雲が、のんびりと陽光を食んで、青空の牧場を散歩していた。羊雲の上空には、絹のよぅな巻き雲が流れていた。
 朝食の献立は、白米に菜っ葉汁。煮物のカヤキ。モロヘイヤのおひたし、カスベの煮付けなどだった。ちなみに、カスベとはエイの乾物のことで、秋田ではよく食べられる。決勝を含めると4試合と長丁場になるので、たくさん食べるために生卵を掛けて食べることにした。
 冷蔵庫を開けて、大きめの卵を選んだ。先日、母が実家から貰ってきた比内鶏の新鮮な卵だ。新鮮な卵は殻が硬い。テーブルの角で殻を割り、皿に落とした。黄味が二つあった。
「母さん、二つ卵だよ」と、卵を見せた。
「それは、幸運のしるしだな。今日は、きっと良い事があるびょん」
 母は嬉しそうな顔で二つ卵を覗きこんだ。
 二つ卵は、4葉のクローバーのようなものだ。店頭に並んでいる卵は大きさの規格が決められているので、二つ卵は市場には殆ど出回らないが、自家製の卵には時々ある。
 岳実は、生卵でごはんを3杯お代わりした。パンパンに張った腹を叩くと、力士がまわしを叩くようないい音がした。腹が減っては、戦(いくさ)は出来ぬ。そういう意味では、戦いの準備は、完璧だ。
 大会で優勝し、そして、洋子に自分の想いを告白する。。。できるだろうか。あー、うだうだ考えてもしょうがない。あとは、思いっきりやるだけだ。「やるぞー」と声を出して、自分に気合を入れた。

 第40章 終了