第41章/戦いの時

第41章 戦いの時

 岳実は、部屋でミシェルを聴きながら試合の準備をした。「ヨウコ、マ・ベル 」と口ずさみながら、洋子とお揃いの水色のリストバンドにキスをしてから、バックに積めた。それから、荷物を背負い自転車で会場に向かった。
 電線に、燕(ツバメ)の幼鳥が、親鳥と肩を並べて止まっていた。幼鳥とは言え燕尾(えんび)もピシッと伸ばし、立派に成長していた。あと少しで渡りの時期だ。ふと庭先の立ち葵に目をやると、小さな玉葱(タマネギ)のような若い実が付き始めていた。
 田園を走った。稲が細波立ったように風に靡(なび)き、風の忍者が走り抜けているようだった。達子森は、何時もと変わらない風貌で、そびえ、その背後には白神山地の山並みが連なっていた。
 途中の商店街には、たくさんの提灯がぶら下げられていた。しかし、午前8時ぐらいだったので人は疎(まば)らだった。大文字踊りや、ぶっかけ神輿が始まる頃になれば、沿道は賑わうだろう。大文字踊りは、浴衣の女性達が団扇を持って舞う踊りで、ぶっかけ神輿はサラシを巻いた若い男女が神輿を担いで練り歩き、沿道の人々が思いっきり水をぶっ掛けるという祭だ。

 試合会場に到着すると、設置された音響機材から、大音量のロックミュージックが流れていた。会場には、香田や原もいた。ライバル校の高橋もいた。彼らと挨拶代わりに軽く話をしてから、5分ほど歩き回り、ようやく、人混みの波の上に慎一郎の顔を見つけた。
 手を振って、慎一郎の所に駆け寄ると、芹奈と洋子もいた。慎一郎と芹奈がギクシャクしないかと心配していたが、二人は何事もなかったように会話をしていた。
 雑談していると、大海航貴がやってきた。日本バスケット界のスーパースターで、将来は、日本人初のNBA選手となるのではと言われている選手だ。
「ちょっと、ヨッコ」航貴が、妹の洋子に声を掛けた。
「何よ、試合前に」洋子は素っ気なく答えた。
「タオル、余計に持って来てねぇが?」
「若しかして、タオル忘れだの?」
「バックさ入れだど思ったんだばって、忘れてきてしまったんだ」
「予備のタオルはあるばって、他の人から借りでよ。今日は、敵なんだがら」
「そんなぁ、冷てぇこと言わねぇで貸してよ。お願い、貸して」と手を合わせた。
「だらしねぇな。社会人になったんだがら、もっとしっかりしてよ。その内、彼女に愛想付かされるよ。はい、んだば、一枚だけだよ」
 洋子は、スポーツバックからタオルを出して渡した。
「サンキュ」
「決勝で対戦する時は、タオル分のハンディーを貰うがらな」
「タオルと勝負は別の話だべ」
「冗談だよ。それよりも、決勝さ上がる前に負けねぇように気をつけてな。ヨッコたちが決勝まで行っても、倒し甲斐がねぇがら」洋子は、憎まれ口を叩いて不敵に笑った。
「そっちこそ1回戦で負けるなよ。まぁ、決勝で戦えるように、みんな頑張ってけれよ。みなさん、うちの妹が迷惑掛けるど思うばって、宜しく頼むよ」
 航貴は、洋子以外の三人と握手してから、去って行った。
 岳実は、バスケ界のスーパースターと握手できたことに興奮し、彼の手の感触が残る掌をまじまじと見詰めた。手を洗うのさえ、勿体ない気がした。
「タゲ、何ボーっとしてらの。握手ぐらいで動揺してだら駄目だよ。名前に誤魔化されねぇで、平常心でやらねば駄目だよ。きっと、タオルを口実で、こっちのチームを偵察に来たんだがら」洋子に諭されたが、岳実の興奮は収まらなかった。

 試合前に、大会のルールについて再確認した。女性がシュートを決めた場合、2点シュートが3点で、3点シュートは4点となる。フリースローは変わらず1点。そして、21点を先取したチームが勝ち。
 ルールの次に初戦の相手について話し合った。相手は、鷹巣(たかのす)ベコーズというチームだった。洋子の情報によると、鷹巣町で酪農を営む中年男性のチームで、飛び抜けて背の高い人はいないが、ラグビー選手のようにがっしりした選手が多いという事だった。

 9時から開会式が始まった。実行委員長の開会の挨拶が終わると大海航貴が選手宣誓が始まった。彼が片手を高々と挙げると、地元新聞社のカメラマンが一斉にフラッシュをたいた。
 バスケットコートは2面あり、トーナメントのA,Bブロックに別れて試合が行われた。Aブロックの初戦が岳実たちの試合だった。

 スタメンは、洋子、慎一郎、岳実で臨んだ。対戦チームは、太鼓腹の中年男性2人と、三十路ぐらいの女性1人だった。
 ブルーウィンドのオフェンスから始まった。相手のディフェンスは、中に厚いゾーンディフェンスだった。慎一郎に、執拗なマークが付いていて、簡単にパスが入らなかった。その分、アウトサイドのマークがルーズだった。岳実は、初回のオフェンスで3点シュートを打ったが外れた。
 洋子が前で一人、岳実と慎一郎が後で二人というトライアングルゾーンでディフェンスをしたが、相手は太鼓腹を利用してインサイドから攻めて、先制点を取られた。
 彼らはダティーなバスケットをした。審判の死角で何気なく押したり、ユニフォームを掴んだりした。バスケの試合で、軽く掴んだり押したりというのはよくあることだが、女性である洋子に対しても同様だった。洋子はセクハラまがいのプレイに苛立っていた。岳実も頭に血が上っていた。何度も「ファールだろう」と審判に抗議したが、審判の心証を悪くしただけだった。
 岳実は、目に物を見せてやると思い3点シュートを打った。しかし、力み過ぎて入らなかった。相手は岳実の3点シュートは入らないと見切って、岳実をフリーにした。それが、更にいらつかせた。
 ディフェンスの際、洋子が中年男の前に立って守った。その時、男が何気ない振りをして洋子の尻を撫でた。洋子は、鋭い視線で睨みつけた。岳実の怒りは心頭に発した。
 その男が、岳実の方に近付いてきたので、マークする降りをして背中にガツンっと肘鉄を入れた。即刻、ファールの笛が吹かれた。その時点で、スコアは、4対12とリードされていた。

 芹奈がタイムアウトを取った。
「タゲ、もう少し冷静になれ」芹奈が言った。
「あんないやらしいプレイするなんて許せねぇよ」と声を荒げた。
「怒る気持ちも分がるばってな。ベンチで少し頭冷やせ」
 岳実は、シュートを1本も決めないまま、ベンチに下がった。円陣を組んで、芹奈が戦術を語った。
「ハイポストから攻めていくべし。それとディフェンスは、外からのシュートは恐くないから、インサイドを厚く守るべし。いいが、ここから逆転するぞ」
 試合が再開した。芹奈が洋子に何かを耳打ちした。痴漢まがいのプレイに対して、芹奈は、容赦なく手を払い退けたり、足を踏んだりして対抗した。アドバイスを受けた洋子も、同じように痴漢まがいのプレイに反撃した。
 芹奈が入ってから、オフェンスのリズムが良くなった。フリースローライン周辺からの芹奈のシュートが立て続けに決まった。芹奈のフォローで、洋子も落ち着きを取り戻し、4点シュートを決めて、16対12と逆転した。相手は堪らずタイムアウトを取った。
 そのタイムアウトで、岳実は洋子と交代した。何回かの攻防を経て、18対16となった。岳実はゴール下にドリブルで切り込んだ。相手がシュートブロックに飛んできたが、ひるまずにレイアップシュートを打った。
 審判のファールが響いた直後に、シュートが決まり、バスケットカウントとなった。スコアは20対16。岳実がフリースローを決めれば勝ちだ。
「タゲ、リラックスしてな」ベンチにいる洋子が声を掛けた。

 岳実は大きく深呼吸をしてから、フリースローを打った。ボールは、リングに当たって撥ねたが、バックボードに当たってから、リングに入った。苦戦しつつも、先ずは1回戦を突破した。

 第41章 終了

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