第38章/何でもない存在

第38章 何でもない存在

 お盆の正式名称は盂蘭盆会(うらぼんえ)と言う。8月13日に先祖の霊を迎えに行き、16日に天国へ送り帰す仏教行事だ。
 13日の朝、母は思い出したように、仏壇や仏間の掃除を始めた。そして、埃を被った花瓶を拭いてから、菊花を挿して仏前に飾り付けた。それから、仏壇の袖棚に、提灯の形をした麩、昆布、小さな青リンゴ、ハマナスの数珠などを糸でつないでから、神社の注連縄(しめなわ)のように横張りした針金にぶら下げて、精霊棚(しょうりょうだな)をこしらえた。
 岳実は、ナスの牛とキュウリの馬を作った。ナスとキュウリに、半分にした割り箸を刺して足を作り、立たせた。精霊棚の牛馬作りが、岳実のお盆の仕事だった。先祖の霊がナスの牛に乗ってやってきて、あの世へ帰る時には、キュウリの馬に乗って行くのだと母が教えてくれた。
 準備が整うと母が仏前で拝み始めた。母の拝む時間は長い。特に母が実家に帰った時は、足が痺(しび)れるくらいに長い。
 母の実家の仏壇には、祖父の遺影が飾られている。祖父は、母が幼い頃に、太平洋戦争で戦死した。当然ながら、岳実は祖父と会った事はないが、写真の祖父は立派な黒髯を蓄えていて、岳実と同じく右目の下に小さな涙黒子があった。
 親戚の話では、祖父の子供の頃と、岳実はとても似ているそうだ。そのせいもあり、母方の祖母は、岳実を格別に可愛がってくれて、泊まった時は、一緒の布団で寝てくれた。
 初めて、死に対して恐怖心を覚えたのは、布団の中で祖母の話を聞いた時だった。祖父は太平洋戦争で戦死し、祖父の祖父も戊辰戦争での南部藩と秋田藩の戦で死んだという事だった。
 「戦死する家系だから、岳実は絶対に戦争に行ってはいけない」と祖母に言い聞かされた。その話を聞いて以降、蠢(うごめ)く闇が背後から迫ってくる夢を、たびたび見るようになった。
 子供の頃は、祖父の写真の前に座ると、にらまれているようで恐かった。それに、仏前でしんき臭くしているよりも、早く従弟たちと遊びたくてウズウズしていた。
 幼少の頃は、母にお前は信心がないと、よく嘆かれていた。しかし、芹奈の母の死をもって、信心とは何かを知った。昨日まで元気に笑っていた人が、動かなくなり、数日後には、焼かれて骨だけになるという現実。それが、岳実の心に、もたらしたものは大きかった。生命の危うさ、容赦ない運命、冥福を祈る気持ちが、心に深く刻まれた。

 8月13日に、秋田代表の甲子園の試合があったので、親父はテレビの前に齧りついていた。岳実は、甲子園の試合を見たくなかった。
 野球が嫌いな訳ではないし、中学までは夢中になって応援していた。しかし、高校生になってから、一つの疑問を持った。何故、野球部だけが特別扱いを受けて、甲子園と言うだけで世間は注目し、大人たちは、こんなにも馬鹿騒ぎをするのだろうか?他の部活をしている高校生だって、毎日、必死になって練習しているのに、この差は何なのだろう?明らかに野球はえこひいきされている。
 甲子園の特別扱いは、他のスポーツをしている高校生に対して失礼だと感じていた。本音を言えば、高校バスケの全国大会も、甲子園のように生中継してほしいが、それは、21世紀になっても無理だろう。仮に、日本の高校生が、マイケル・ジョーダンのようなプレイをしたとしても無理だろう。何故なら、甲子園に出ている選手が、メジャー級のプレイをしている訳ではなからだ。視聴者は、甲子園と言う幻想に酔い、地元びいきという小さなナショナリズムに興奮しているのだ。

 どんなスポーツでも、選手たちは一生懸命に戦っているが、それを電波に乗せてテレビ放映するかどうかはマスメディアが握っている。それは、一種の情報操作であり洗脳だ。繰り返し見せることで、視聴者の心理にすり込みを行い、脳の中で一種の中毒作用を引き起こさせる。それが、マスメディアの戦略であり、広告を生業とするマスコミの打ち出の小槌だ。有名人の訃報はテレビで報道するが、社会を支える一市民の訃報は流されない。
 人の死は、人の命と同様に、平等だ。無数の死の中から、マスメディアが視聴率が取れるという色眼鏡で拾い上げたものだけが、テレビニュースとなる。おかしなことだが、それが現実であり、営利企業であるマスコミの限界だ。
 マスメディアのからくりに気付いてから、コメンテーターや司会者が、偽善者に思えてて仕方なかった。彼らの常套手段は、”庶民のふり”をすることだ。庶民とは桁違いの収入があるにも関わらず、庶民の味方であるかのような言動は、偽善だ。彼らは経験したことのない事に対しても偉そうなこと言い、事件の容疑者に対しては、面識がなく名前すら知らないにも関わらず、極悪人と罵倒する。良く知らない人物や事実を、批判できる資格は誰にもない。
 テレビは、視聴者に、多くの情報や知識を与えてくれる。その一方で人間を馬鹿にする。視聴者は、虚飾された情報を、現実と勘違いし、一喜一憂する。
 恋人に振られた。親友と喧嘩をした。受験に失敗した。両親が離婚した。家族が亡くなった。童貞を捨てた。現実世界では、日々、さまざまな出来事が起きている。本人には切実な事も、他人にはどうでもよい事だ。疎遠な人間の死よりも、ペットの死の方が哀しい。それが現実だ。

 父親は、甲子園を見ながら、エラーや監督の采配にいちゃもんを付けながらも熱心に応援していた。結果は、逆転負けだった。
 甲子園の放送が終わってから、家族三人で集落の外れにある墓所へ向かった。右手に水桶をぶら下げ、左手に花束を持って歩いた。日本人は、お盆になると、鮭が生まれた川に遡上(そじょう)するように、故郷に帰ってくる。
 家々の庭には、自動車が何台も停まっていた。近隣の青森、岩手、首都圏の練馬、春日部、相模、袖ヶ浦などのナンバーが多くみられた。
 途中、墓参りを終えた他の家族と擦れ違った。多くの人が、下駄をアスファルトに鳴らして闊歩(かっぽ)していた。岳実も子供の頃は下駄で墓参りに行った。下駄を履くと、不思議と心がウキウキした。しかし、普段は下駄の緒で親指と人差し指の間が擦れしてしまうので、あまり履かない。
 芹奈の家族とも擦れ違った。親父さんは、赤い緒の黒塗りの下駄を履き、軽快な音を響かせて歩いていた。髯を蓄えた戦国武将のような風貌には、下駄がよく似合っていた。
 倉内家の墓に着くと、父は木杭を地面に差し、その上にすだれを広げて、供え棚を拵(こしら)えた。それから、大きな蓮の葉をすだれの上に置き、供物を供えた。岳実は、柄杓(ひしゃく)で水を墓石にかけた。

 墓参りの時、自分が仏教徒であることを自覚していない。純粋に、先祖に祈りを捧げているだけだ。お経を聞いても、何も理解できない。
 子供の頃から思っていたことだが、ブッダの使徒であるはずの僧侶が、お経の意味を信者に教えないのは何とも不思議な話だ。さらに不思議なのは、周囲の大人が、意味不明なお経を有り難そうに聞いているということだ。日本の仏教徒の殆んどは仏法をよく理解していない。
 果たして、聖書を知らないキリスト教徒やコーランを知らないイスラム教徒は、どのくらいいるだろうか?弥勒菩薩と観音菩薩の差をいえる仏教徒は、日本に何人いるのだろう?
 岳実の家も近所の寺の檀家になっていて、法要でお布施を渡している。しかし、岳実は仏教の教えの真髄を知らないし興味もない。建前は仏教徒だが、信じている宗教はない。
 墓碑板に刻まれている先祖の名前を見てみた。100年経てば間違いなく、自分の名前も戒名(かいみょう)と共に刻まれるだろう。それにしても、戒名に何の意味があるのだろう。
 生前に自分で名前を付けておくなら理解できるが、ろくに自分の事を知りもしない和尚に、死後の名前を付けられるというのも可笑しな話だ。自分の死後に勝手に名前を付けられるのは、甚だ不愉快だ。
 自分の家の墓参りが済んでから、親戚や近所の墓参りに歩いた。以前は、盆花といえば菊が多かった。しかし最近は、花の種類が豊富になった。秋の七草のキキョウやオミナエシを始めとして、小柄な向日葵やトルコ桔梗もあった。また、イルカを思わせる花形をしたデルフィニュームや胡蝶蘭もあった。
 芹奈の家の墓に線香をあげた。墓には山百合の花が飾られていた。芹奈の母が大好きだった花だ。甘い香りが岳実の鼻腔をくすぐった。
 合掌瞑目すると、岳実の瞼の裏に芹奈の母が見えた。芹奈の家に遊びに行くと、芹奈の母は、いつも優しく「あら、タゲ。いらっしゃい」 と微笑みなが出迎えてくれた。
 脳裏に、彼女が倒れていた凄惨な情景が浮かび、臨終から火葬、葬式から野辺送りまでの出来事が走馬灯のように駆け巡った。気が付くと涙が頬を伝っていた。
「どうか芹奈が健やかに過ごせるよう見守って下さい」と墓前で祈った。
 芹奈の母の死を境に死について深く考えるようになった。死とは何なのか?苦痛からの解放か、それとも新たな苦痛か?あの世には善も悪もない気がする。
 善悪とは、人間が社会で生きる為の処世術で、人間の心にこそ、天使と悪魔が存在する。しかし、あの世には天使も悪魔も存在しない。何でもないものが、何でもない状態で存在している。空を渡る雲や、夜空に輝く星々に、善悪がないように、死後の魂は、その何でもない存在の一部となる。そう、あのセルリアンブルーの青空のように。

 第38章 終了