第39章/星に願いを

第39章 星に願いを
 
 8月14日は、スリーオンスリーの練習が夕方からあった。大会前の最後の練習だった。
 秋田の夏休みは短い。8月20日前後には二学期が始まる。夏休みは残り数日となったが、宿題が、たくさん残っていたので、岳実は午前中から宿題に取り掛かった。 物理の問題集をやったが、はかどらなかったので、気分転換に尾崎豊のテープを聴いた。
 しばらくして、母が呼ぶ声が聞こえた。折角、音楽鑑賞している時にうるさいなと無視した。
「ちょっと、タゲ。居るんだべ」
 母が、ドアをノックした。
「何や」と、わざと面倒くさそうな素振りで開けた。
「芹ちゃんが、訪ねて来たよ」
「芹奈が?分がったよ、今行ぐよ」
「あらっ、ビートルズ以外を聴いてるなんて、珍しいな」母が言った。
「うるせぇな。何聴いだって良いべ」
 岳実は、芹奈に気付かれると面倒だと思い、急いで音楽を止めてから部屋を出た。

 玄関に行くと、何故か、芹奈が、ブリキのバケツを手にしていた。
「おう、芹奈、どうした?」
「お願いがあって来たんだ」
「何だ?若しかして、そのバケツさ関係があるんだが?」
「ピンポン。これ、今日の練習さ持って来てけれ」
「若しかしてダンクの練習に使うの?」
「ブー、外れ」
「せば、何さ使うの?」
「鈍いな、バケツと言えば?」
「バケツリレーだが?」
「んだ訳ねぇべ、消火訓練してどうするんのよ。花火だよ、花火。練習終わった後に、皆で花火するべし。花火はうちらで買ってくるがら、タゲは、そのバケツを持って来て。よろしくたのんだよ。せば、こっちは、これから用事あるがら、バケツよろしく」
 芹奈は玄関にバケツを置いて帰って行った。

 昼飯を食べ終わってから、世界史と英語の長文読解を、1時間半ずつやった。勉強が終わってから、バケツを自転車の前籠に入れて、スポーツバッグとボールケースを、左右から襷(たすき)掛けにして担いだ。バッグの紐が左右から首を圧迫して苦しかったので、何度も休みながら行った。
 プレイグラウンドに到着すると、3人は既に来ていて、シュート練習を始めていた。最終日の練習では、緊張感が張り詰めていて、みんな真剣に取り組んだ。しかし、今日で最後かと思うと、とても寂しい気分になった。

 練習後、岳実と慎一郎は、いつも通り芹奈たちが着替えて戻ってくるのを待っていた。岳実は、ベンチに座りながら、暮れなずむ空を眺めた。夕陽が山の上に漂う雲の中に沈んでいた。ヒグラシの寂しげな鳴き声が、風景をより感傷的に感じさせた。芹奈たちが戻ってきた頃には、西空の残照に、一番星が瞬き始めていた。

 岳実たちは、童心に返って花火をした。はしゃいで花火をしていると、あっという間に時間が過ぎて、たくさんあった花火も終わりに近付いた。
 最後に残ったのは線香花火だった。4人で輪になってしゃがみ、誰のが一番最後まで燃え続けるかを勝負した。一番先に燃え尽きたのは慎一郎のだった。その次は芹奈のが燃え尽きた。
 岳実は洋子と線香花火を交互に見詰めた。花火の光を受けた洋子の顔が闇の中に浮かんでいた。手を触れると消えてしまいそうな美しさだった。
 洋子が、ふと視線を上げて微笑んだ。岳実はドキッとし、その動揺で手が震え、線香花火の光の珠がポトリと地面に落ちた。
「やったー、ヨッコの勝ちだね」洋子は、得意げに言った。
「うん、我の負けだよ…」
 岳実は、彼女の足元で燃える線香花火を眺めた。赤い光の珠が、最後の力を振り絞って、小さな火花を散していた。
「綺麗だよ」と、洋子を見詰めて言った。
「うん、綺麗だね」
 洋子は、口許に微笑を湛えて、再び、線香花火を見つめた。
 綺麗なのは花火じゃない、君の事だよ…泣きたいくらいに切なくなった。彼女を抱きしめて、桜ん坊のような唇にキスをしたかった。
「あっ、落ちた」
 洋子の声で、岳実は我に返った。花火に夢中になって、気が付かなかったが、夜空には美しい天の川が架かっていた。柔らかい光の帯は、天女の羽衣のようだった。天の川は、南の空で蠍座に流れ落ち、天頂では織姫と彦星を分かち、北の空で地平線に注いでいた。
 星は生命体のようにキラめき、今にも地上に落ちて来そうだった。
「あっ、流れ星だ」
 慎一郎が、叫んで指差した。岳実が、目を向けた時には、既に消えていた。
「何か願い事を言ったの?」岳実は尋ねた。
「願い事を人に教えると叶わないっていうから、内緒だよ」
 自分も願い事を叶えたかったので、目を凝らして流れ星を探したが見つけられなかった。

 慎一郎は、何度も流れ星を見つけて歓声を上げた。洋子も芹奈も見つけたが、岳実だけ見つられなかった。
「何で、慎ちゃんだけ、何回も見つられるんだ?」と、ふくれっ面で尋ねた。
「空全体をボーっと見てれば良いんだ」
「ふーん、ボーっとかぁ」
「そう、ボーっと」
 慎一郎のアドバイスに従って、ボーっと見上げた。しばらくして、一縷(いちる)の流星が現れて、瞬きする間もなく消えた。願いを唱える暇がなかった。その後、何個か見つけたが、やはり、早くて願いは言えなかった。
『流れ星が消える前に、3回願い事を唱えると叶う』という言い伝えの本当の意味を理解した気がした…『3回唱えるのは不可能だから自分の力で願いを叶えろ』つまりは、そういう事だ。

 第39章 終了