第10章/美しい人

 昼食後の片付けが終わってから、4人で一緒に、自転車で帰路に付いた。米代川に架かる大きな橋の手前まできた。欄干では比内鶏の雄鶏が堂々と胸をそびやかしていた。
「んだば、タゲ。ボールは宜しく頼むね。うちの玄関さ適当に置いでけれ。こっちは、これから、図書館さ勉強しに行くから」芹奈が言った。
「はいよ。せば、玄関さ、置いておぐよ」
 岳実以外の3人は、橋を渡って行った。3人の後姿を見送ってから川沿いの土手道を、自転車で走りながら家に帰った。

 今にも泣き出しそうな空を眺めながら田圃に伸びる道を急いだ。稲葉をひるがえしながら風の忍者が近付いて来ては、走り去って行った。岳実の住む集落の入口に巨大なケヤキがある。晴れている時は、馬鹿みたいに蝉が騒いでいるが、太陽が隠れている今日は静かだった。蝉も曇りの日は憂鬱なのだろう。

 ちょうど、芹奈の家に到着した時、雨が降ってきた。呼び鈴を押したが誰も出てくる気配がなかった。玄関の扉を開けてみると、鍵は掛かっていなかった。
「ごめん下さい」と叫んだが、家の中は静まり返っていた。
 芹奈の父は、留守のようだった。久しぶりに、戦国武将を思わせる立派な髭を拝めると思っていたが、今日も日本の何処かでトラックのハンドルを握っているのだろう。

 芹奈の話によると、若かりし頃の親父さんは、バイクを乗り回し地元で名の知れたワルだった。
 しかし、岳実の知っている親父さんは男気があって、時には厳しい事も言うがとてもひょうきんな人だった。
 芹奈の父と、岳実の父は同い年で幼馴染だ。芹奈の母が元気だった頃は、ちょくちょく岳実の家にやってきて、父と飲み語らっていた。岳実の父は下戸だが、芹奈の父は底なしだった。酔っ払って気分が昂じてくると、三味線を持ってきて、嬉しそうに民謡や演歌を歌いだした。岳実の父は対抗して、ギターを掻き鳴らし、ビー トルズを歌った。周囲はちゃんぽん音楽を聴かされて唖然としていたが、当の二人は楽しそうに歌っていた。いつもは口喧しい母も、この時ばかりは、「ほれ、また始まった」と言いながらも笑顔で鼻歌を歌っていた。

 岳実は、そんな記憶を思い出しながら芹奈なの家の玄関に立っていた。誰も家にいないので、上り框にボールを置いていこうと思い中に入ると甘い香りが鼻をくすぐった。山百合の花が飾ってあった。それを見て、芹奈の母を思い出した。彼女は山百合が大好きで、生前、こうしてよく飾っていた。
 芹奈の母は若くて美しかった。その上、優しくて気立てが良かった。岳実が遊びに行くと、よく手作りのお菓子を振舞ってくれた。夏は水羊羹(みずようかん)やフルーツゼリー、冬はチーズケーキやクッキーなどを出してくれた。
 岳実の母は仕事で忙しいという言い訳で、お菓子を作ってくれたことは殆どなかったので、芹奈の母が作ってくれるお菓子はほっぺが落ちそうなほど美味しかった。

 芹奈の母は、岳実の母よりも一回り年が若かった。父同士は同い年なのだが、岳実の母は姉さん女房で7歳年上。一方、芹奈の母は5歳年下だった。岳実は若くて美しい芹奈の母に対して、憧れのような慕情を抱いていた。彼女が自分の母だったら良かったのにと何度思ったことだろう。
 小学2年の春頃、芹奈は兄弟が出来ると岳実に自慢していた。芹奈も岳実も一人っ子だったので、岳実は羨ましいと思うと同時に、芹奈が取られてしまうのではないかという寂しさも感じた。
 岳実は無い物ねだりで、両親に、自分にも兄弟が欲しいと言った。
 しかし、母には、
「コウノトリは、母さんのような40歳半ばを過ぎた女性の家にはやってこないから、兄弟はできないんだよ」と、あしらわれた。
 その頃の岳実は妊娠についての正しい知識を持っていなかったが、母が屁理屈をこねているように感じた。
 その後、小学校の図書室にあった鳥の図鑑でコウノトリを調べてみた。日本では狩猟や開発のため、1971年に絶滅したと書かれてあった。
 岳実は1974年生まれだったので、自分が生まれた時には既にコウノトリは絶滅していたことになる。自分が生まれた時期にコウノトリがいないということは、日本では子供が生まれない事になる…とすると、一体、自分はどこで生まれたんだ?と幼かった自分は、不安にさいなまれた。

 あの忌まわしい出来事が起こったのは、茹だるような暑さの夏の夜だった。泣きじゃくった芹奈が、「母さんが血を流して倒れた」と岳実の家に助けを求めに来た。両親と一緒に岳実は、芹奈の家に走った。芹奈の母が下腹部から真っ赤な血を流し倒れていた。床は血の池のように真っ赤に染まっていた。運が悪いことに、その日は芹奈の父は出番で留守にしていた。
 すぐさま救急車で病院に運ばれた。
 胎盤が剥がれて出血が酷く母子共に極めて危険な状態と言う事で緊急手術が施された。しかし、手術で取り出された赤ちゃんは既に死んでいた。数日後、芹奈の母も後を追うように死んだ。
 それ以来、岳実は兄弟が欲しいと言うのを止めた。コウノトリの話はサンタクロースと同じように信じなくなった。コウノトリの代わりに信じるようになったのは、この世には、容赦なく命を奪っていくハゲタカが存在するという事だ。

 芹奈の父が長距離トラックの仕事で、数日家を空ける間、芹奈を誰かに預かってもらう必要があった。しかし、親戚が近くにいなかった。父方の祖父母は他界していたし、彼女の叔父は東京に住んでいた。芹奈の母の実家は秋田県の南端にある雄勝町(おがちまち)だった。
 秋田音頭で、「小野小町の生まれ在所(ざいしょ)、お前はん、知らねのげ」と歌われているように、平安の女流歌人の故郷として知られている町だ。芹奈の家からは車で5時間ほどかかったので、一時的に芹奈を預けるには、あまりにも遠すぎた。
 そんな事情もあり、芹奈は岳実の家で預かることになった。

 芹奈の母を偲ぶ時、岳実の脳裏には、いつも「美人薄命」という言葉が過ぎる。美人薄命…なんて、嫌な言葉だ。中学の時。担任教師が、ホームルームを利用して漢字の小テストを開催し、結果を教室の掲示板に貼り出していた。満点が◎、9~8点から点が○。7点以下が×だった。芹奈は毎回◎を取り続けていた。最後のテストで「びじんはくめい」が出題された。
 岳実は、つらい気持ちを堪えながらも、美人薄命と書いた。テストが終わると最後尾の人が回収して、先生に手渡す手順になっていた。岳実は最後尾だったので、同じ列の芹奈のテストを回収する際に一瞥した。美人薄命と書くべき欄は空白だった。簡単な美人という漢字すら書いていなかった。芹奈は、分かっていても書かなかったのだ…いや、書けなかったのだ。

 岳実は、その空欄を見た瞬間、自分を恥じた。すぐにでも消しゴムで、美人薄命と書いた自分の文字を消したかった。芹奈にとっては、美人薄命という言葉は、心を裂く刃なのだ。言葉は、時に、存在するだけで人の心を傷つける。
 教師に対して物凄く、腹が立った。一年間、担任をしてきたくせに、芹奈の事を何も分かっていないじゃないか。芹奈が幼くして、母を亡くしているのに…美人薄命など問い言う無神経な問題を出すんだ…憤慨が治まらなかったので、学習日誌に書いて抗議した。
 次の日、返却された日記をドキドキしながらページを捲ると、
「教えてくれてありがとう。先生は日本語を教える者として、恥ずかしく思いました」と書かれていた。
 帰りホームルームで、教壇に立つ担任と目が合うと、彼女は気まずそうな作り笑いで微笑んだ。数日後、教室の掲示板に貼り出された結果を見ると、芹奈は◎となっていた。後日、芹奈に聞いた所では、テストの翌日に職員室に呼ばれ、代わりに、「ぜんじんみとう」という四文字熟語を出題されたと言うことだった。

 岳実が、芹奈の家の玄関で、過去の思い出にひたっていると、玄関から涼風が吹き込んできて山百合が揺れた 。ふと、廊下に芹奈の母が現れたような錯覚を覚えた。
 山百合に向かって手を合わせ、瞑目しながら冥福を祈ってから、芹奈の家を後にした。

 第10章 終了