第9章/千代の富士

 芝生の広場を囲む桜が力強く葉群を広げて、微風にれていた。
 芹奈は木影にシートを引いて手作りの弁当を出した。たくさんの海苔巻きおにぎりが入っていた。おかずは、カヤギだった。カヤギは郷土料理で、竹の子、きのこ、薩摩揚げ、蕗(ふき)、鶏肉などが入った煮付け料理だ。その他には、卵焼き、鶏の唐揚げ、ハムのレタス巻きなどがあった。芹奈が、大きな魔法瓶から麦茶を紙コップに汲んで配ってくれた。
「んめえー。セリナちゃん、わったり料理が上手だな」 慎一郎が褒めた。
「特にカヤギが最高だな」と言って、洋子が芹奈に羨望の眼差しを向けた。
 岳実は正直、驚いた。これほど料理が上手だったとは思わなかった。特にカヤギは絶妙の味付けだった。岳実の母に勝るとも劣らない味だった。

 みんなで、弁当を食べながら、今日の練習について話した。
「タゲ、今日は本気出して練習してだな」芹奈が茶化すような口調で言った。
「初日とは別人みたいだったよ」洋子も茶化した。
「洋子に蹴るぞって脅されて本気になったんだびょん」と言って芹奈が岳実と洋子を交互に見た。
「大和撫子の私が、そんたスケバンみたいなことはしねぇよ。ねぇ、タゲ?」
「いやぁ、どうだべな。めんこい顔して、女子校では何してるが分からねぇがらなぁ」と、わざと意地悪く言った。
「こっちは鳳女子の校風通り慎ましき淑女だよ。ねぇ、セリナ?」
「確かにそういう校風はあるばって…お互い淑女には程遠いお転婆だな」
「それは言えてるね」洋子と芹奈は、屈託のない声で笑った。
「今日のタゲは部活以上に真剣だったな。いつも、今日ぐらい気合入れで練習すれば、スタメンになれるど思うよ」慎一郎が、山椒の効いた突っ込み入れた。
 褒められたような貶されたような複雑な気分だった。

「慎ちゃんは、センタープレイが大分、板について来たな」芹奈が、褒めた。
「いや、いや、まだまだだよ」と言いつつも、慎一郎は嬉しそうに笑った。
「迷いがなくなってきたね。だんだん、動きに切れが出てきたよ」洋子も褒めた。
「いやぁ、調子に乗るから、そんなに褒めねぇでよ」慎一郎が、はにかんだ。
「賞品のエアージョーダンは、慎ちゃんさかかってるがらな。大会でダンクをガツーンと決めてけれ」と、調子に乗って言った。
「あんまり、プレッシャー掛けねぇでよ」 慎一郎が苦笑いした。
「タゲ、おめぇこそ頑張れよ」
 芹奈が、岳実の背中を掌でパンと叩いた。
「もちろん。我も一生懸命やるよ。ま、任せとけ」と、胸を叩いて虚勢を張った。
 それを見ていた洋子が腹を抱えて笑った。
「何がそんたにおかしいの?」 芹奈が尋ねた。
「ごめん、セリナと岳実くんが漫才してるみたいで…」洋子が手で笑いを抑えた。
「漫才だなんて、ちょっと心外だな」芹奈が呟いた。
「それは、こっちの台詞だ」と岳実が言うと、「何だって」と言って芹奈が、又、ドンと背中を叩いた。
 洋子が又、腹を抱えて笑った。

 弁当を食べ終えると、洋子がバッグから用紙を取り出した。
 スリーオンスリーの組み合わせが書かれていた。トーナメント方式で、16チームがエントリーしていた。
「結構、チームが集まったな」岳実は呟いた。
「受付当初は、チーム数が足りなくて困ってたんだばって、締め切り間際に増えて、16チームになったんだ」大会の実行委員も務めている洋子が答えた。
「16チームっていう事は、優勝するには、4回勝だねばねぇな」岳実は呟いた。
「炎天下での4試合は、かなり過酷だな」慎一郎が言った。
「しんどい環境はどのチームも一緒だがら頑張るべし」芹奈が力強く言った。
「所で、我んどのチームは何て名前なんだ?」岳実は、用紙を見ながら尋ねた。
「青い風って言う意味で、BLUE WINDって名前にしたんだ」洋子が、答えた。
「夏っぽくていいな」 岳実は気に入った。
「こっちが最初に提案した名前は千代の富士だったんだ。んでもヨッコに却下さだんだ」
 芹奈が、後れ毛を弄りながら言った。

 岳実は、芹奈が大相撲が大好きな事を思い出した。彼女を倉内家で預かっていた頃、大相撲が始まると彼女とよくチャンネル争いをした。大抵、争いに負けて、岳実は好きな戦隊物の番組を見ることができず悔しい思いをする事が多かった。
 芹奈の相撲好きは、彼女の父親の影響が大きかった。高校時代は相撲部の主将をしていて、何度か優勝したらしい。高校卒業後に、相撲部屋へ入門するか就職するかを本気で悩んだそうだ。芹奈は相撲が好きなのと同時に、相撲が滅法強かった。子供の頃は、無理矢理、相撲の相手をさせられた。芹奈は子供の頃から体が大きく、技も鋭かったので岳実は負けっぱなしだった。勝った芹奈は、手刀で心の字を切って、懸賞金を受け取る仕草をした。負けた岳実は、懸賞金を渡す行司の役までやらされた。さすがに中学生になると、相撲をすることはなくなったが、多分、勝てなかっただろう。
「いやいや、本当に、千代の富士でねぇくって良がったよ」と、本音を洩らした。
「んだな、やっぱりバスケは横文字の方がしっくりくるな」慎一郎も賛同した。
「何よ皆で、嫌な感じ。千代の富士は偉大な横綱なんだよ。引退の記者会見を見て、こっちは本気で泣いちゃったよ。大横綱にちなんだチーム名は、かなり良いど思ったんだばってなぁ。それに考えてみれ。もし【千代の富士】っていう名前で優勝したら、千代の富士の最後の優勝ってことになるんだよ。それって素敵だべ?」芹奈が皆を見回した。
「素敵…? じゃねぇよ。今回は、相撲でねくて、バスケの大会だべ」岳実は、小馬鹿にして言った。
「千代の富士は偉大な横綱だ。バスケだろうが、ゲートボールだろうが関係ねぇべ。ヨッコ、今からチーム名を変更できねぇの?」芹奈が、ムキになって言った。
「無理だよ。この通り、もうトーナメント表も出来上がってらし」洋子が、用紙を見せた。
「やっぱり無理かぁ。残念だな」
「大事なのはチーム名よりも、結果だよ」洋子が、諭すように言った。
「それは分がってらよ。ただ、千代の富士の引退を思い出して気持ちが昂ってしまったんだ」芹奈が、俯いてしみじみと語った。
 芹奈が顔を上げると、岳実と視線が合った。
「よし、タゲ。久しぶりに相撲取るか?広い芝生もあるし丁度いいべ」芹奈が、目を輝かせた。
「マジで、勘弁してよ」と、即座に手を振って断った。
 高校生になって身長は芹奈に追いついたが…相撲で勝つ自信はなかった。子供の頃の記憶が、体の芯まで染み付いていた。それに、洋子の目の前でブン投げられてしまったら、男のプライドがアンドロメダ星雲までブッ飛んでしまう。

「何だ、詰まんねぇの。タゲのじぐなし」芹奈が唇を尖らせた。
 じぐなしとは、秋田の言葉で意気地なしという意味だ。
「んだば、慎ちゃん。相撲するが?」芹奈は、慎一郎に誘いを掛けた。
 岳実に断られた当てつけもあって、冗談半分で言ったことなのだろが、慎一郎は真に受けて、顔を赤らめて断った。
「んだば、ヨッコ。女同士で相撲やるか?」芹奈が、性懲りもなく洋子に誘いを掛けた。
「本当にあんたは相撲馬鹿だな。部活でも練習終わった後に、センターサークルで相撲取ってらしなぁ。怪我しねぇかと心配だよ」
「そう簡単に怪我しねぇよ。バスケしてる方が怪我する確率は高いよ」芹奈は、悪びれる様子もなく言って、快活に笑った。

 その時、若草色のバッタがシートの中に入ってきて、ぴょんぴょんと跳ねた。岳実はバッタの背後から狙って捕まえた。バッタが掌でバチバチと跳ね惑った。指で摘むと醤油を吐き出した。間近で観察した。細長い顔と瞳。枯れ草の葉先のような触角。口が幾筋にも裂け、小さな触手のように蠢(うごめ)いていた。
「タゲ、可哀想だよ。逃がしてあげれば」洋子が言った。
「ただ捕まえただけだ。取って喰うわけでねよ」という岳実に続けて、芹奈が言った。
「イナゴが食えるんだったら、そのバッタも佃煮にして食えるんでねぇの?イナゴよりも旨ぇがったりして。ヨッコ、食ってみれば?」芹奈が、からかった。
「えぇー、虫なんて食いたぐねぇよ」洋子が苦虫を噛んだような表情をして首を振った。
「タゲ。そのバッタ、こっちさも見せて」芹奈が、掌を岳実に差し出したので、バッタを手渡した。

 芹奈は、バッタに顔を寄せて観察した。
「精霊(しょうりょう)バッタだな」
「醤油バッタだべ。ほれ、醤油付けられだよ」岳実は、掌を見せた。
「実は醤油バッタっていうバッタは存在しねぇんだ。確かに醤油みたいなのを吐き出すバッタは何種類かいて、醤油バッタって呼ばれでる。んでも、正式な名前は、精霊バッタっていうんだ」芹奈は、ニコやかに語った。
「芹奈ちゃんって虫に詳しいんだな」慎一郎が、感心して頷いた。
「子供の頃、よく昆虫採集をして図鑑で調べだんだ」芹奈は、誇らしげに言った。
 女の子には虫嫌いが多いが、芹奈は大好きだった。幼少の頃、岳実は、よく芹奈と昆虫採集をしに行ったものだった。
 岳実が、バッタを逃がすと。キチチィーと羽音を立てて飛び、草叢に消えた。
「雲行きも怪しくなってきたし、そろそろ、お開きにするか」芹奈が腕を上に伸ばしながら空を見た。
 岳実もつられて空を見た。灰鼠の雲に覆われて青空は見えなかった。
「次の弁当当番は、ヨッコだがら、宜しくね」芹奈が言った。
「芹奈が上手だったがら、プレッシャー感じるよ。軽めにサンドウィッチでも作ってくるかなぁ」洋子が答えた。
 岳実は、それを聞いて小躍りした。動機は不純だが練習の楽しみが増えた。

 第9章 終了