第37章/好きな女の名を叫べ

 合宿2日目の朝、午前6時に、女子マネージャーがブリキバケツを叩いて回り部員を起した。岳実は、昨夜の肝試しのせいで夢見が悪く、あまり良く寝れなかった。朝食前に、早朝散歩があり、眠気眼を擦りながら歩いた。
 2日目の練習もハードだった。その上、茹だるような暑さだった。午前はシュート練習を中心にやり、午後は実戦形式の練習をやった。午後の練習が終わると、みんな疲れ果て、合宿所のベッドで横になった。

 合宿2日目の夜には、「神頼み」という恒例行事があった。
 高校の裏手に、桂ヶ丘というカツラの原生林が広がる小高い丘があり、その頂上に神社がある。1年生は一人ずつ、長い石階段を駆け上がり、拝殿で待ち構えている先輩からお猪口一杯のお神酒を飲まされる。その後、市内の夜景を一望できる神社の裏手に回り、好きな女の名前を叫ぶ。それが「神頼み」だ。
 上級生の岳実たちはは、一升瓶のお神酒を持参して階段を登り境内にたどり着いた。境内に一つだけ付いていた電灯には、大水青というエメラルド色の蛾が群がっていた。お賽銭を入れて鐘を鳴らし、柏手を打った。それから社殿に入り、1年生が一人ずつやってくるのを待ち構えた。

 1年生が順番にやってきて、お神酒を飲んでは、好きな女の名前を叫んで戻って行った。彼らを見ていて、去年の自分を思い出した。特に好きな女の子がいなかったので、小学校の初恋の女の子の名前を叫んだ。今なら偽りなく「洋子」と叫ぶことができる。

 上級生たちは、一人ひとりやってくる後輩を待っている間、チビチビとお神酒を飲んだ。親父に似て酒に弱い体質なので数口で酔っ払った。神頼みが終わった頃には、岳実たち2年生は全員、ほろ酔いだった。
 全員で、社殿の後片付けをしてから外に出ると。
「我も神頼みしてくるよ」
 慎一郎が、おもむろに言って、神社の裏手に向かった。
「セリナー、好きだー」と眼下に広がる夜景に向かって咆哮(ほうこう)した。
 皆は面白がってはやし立てた。
 しかし、それを見ていた香田が、何故か急に泣き出した。
「香田、どうした?」岳実は、尋ねた。
「実は浮気がばれて、彼女に振られたんだ…」
「馬鹿だな…んだがら、ほどほどにしておけって言ったべ」
「んだな、我は、大馬鹿者だ」と呟いて、慎一郎の横に行き、夜景に向って叫んだ。
「サオリー、好きだー。我が馬鹿だったー、許してけれー」
 他の同期も酔っ払って気が大きくなっていたのか、夜景に向かって好きな女の名前を呼び出した。
 岳実も彼らに負けじと、
「ヨッコー、大好きだー」と叫んだ。
 心の中にあったモヤモヤしたものがスッキリした。

 その内、慎一郎と香田が肩を組み、歌を歌い始めた。尾崎豊のシェリーだった。
 全員で肩を組んで、合唱した。歌声が、夜空に響いていた。馬鹿と言われてもいい、笑顔が卑屈でもいい、自分を貫く勇気が欲しい、そう願って、涙に滲む夜景に向かって歌った。

 第37章 終了