第36章/ドラキュラになりたい

 お盆の連休前、バスケ部恒例の2泊3日の合宿があった。茹だるような暑さの中、午前午後とハードな練習が続いた。慎一郎は失恋に落ち込む事なく練習に取り組んでいた。吹っ切れた様子で、思いっきりの良いプレイをしていた。
 その日の午後の練習が終わった頃、俄かに空が暗くなり、稲妻を伴った激しい夕立となった。それ止むと、蒸し暑かったのが一気に涼しくなった。
 夕方、シュートの特打ちをした。岳実は香田と一緒にやった。合宿疲れのせいで、香田は動きに精彩がなく集中力がなかった。それを見たコーチが、香田を呼びつけてキャプテンの自覚が足りないと叱咤した。

 学食で夕食を食べた後、部員全員で近くにある大文字温泉に行った。地元の人は銭湯代わりに使っていて、部活帰りに立ち寄る生徒もいる。大文字温泉の名物はマグロだ。と言ってもトロの刺身が出るわけではない。洗い場の空いたスペースに、裸の人が市場のマグロのように並んで寝そべるのだ。部員もマグロになった。
 合宿疲れのせいか、一物を晒したままで寝ている部員もいた。マグロになりながら、ボーっと天井を眺めていると、女湯の方から女子マネージャーたちの話し声が聞こえてきた。
「マーちゃん、大きくて綺麗な胸してるね。羨ましいよ」百恵の声だった。
「百恵先輩だって結構、大きいじゃないですか」真沙美が、答えた。
「マーちゃんには、敵わねぇよ。それに、私のは左右の大きさが不揃いだし、乳首も大きいしね」
「赤ちゃんにあげるには、乳首は大きい方が良いそうですよ」
「んでも、やっぱり形がいい方がいいよ。マーちゃんのは、惚れ惚れするほど綺麗なおっぱいだね。触っていい?」
「いいですよ」
「張りがあって柔らかいね、マシュマロみたい」
 その会話を聞いた岳実は、豊満な真沙美のヌードを想像した。すると、一物がムクムクと元気になってきたので、慌ててタオルで一物を隠して湯船に入った。マグロになって寝ていた他の部員も、三々五々、一斉に湯船の中に入った。

 温泉を出ると、すっかり暗くなっていた。火照った体に夜風が気持ち良かった。
 高校の近くに信濃寺という古寺があった。戊辰戦争の戦死者が多く埋葬されていて、人魂や幽霊が出るという噂があった。
 合宿の恒例行事に、1年生が寺の墓所で肝試しをすると言うのがあった。男子は一人だけで行くが、女子マネージャーは、連れ添いを指名できた。バスケ部には、肝試しで一緒に歩いた二人はカップルになるというジンクスがあった。去年は、百恵が原を指名して、それから二人の関係が急接近した。今年の合宿で、真沙美が指名したのは岳実だった。

 岳実と真沙美は、裏手の壊れた塀の隙間から墓所に入った。墓所の中は、街灯がなく真っ暗だった。夜空には刃のような三日月が浮んでいた。どこからともなく、薄気味悪いフクロウの鳴く声がした。
 岳実が真沙美を先導して歩いていると、目前を黒い影が過ぎった。その瞬間、真沙美が岳実の腕にしがみ付いた。豊満な胸のマシュマロのような感触が岳実の腕に伝わった。
「マーちゃん、大丈夫だ。ただのコウモリだよ」
「えぇ、コウモリがいるんですか。吸血コウモリだったらどうしよう」真沙美は、怯えた。
「普通のコウモリは、血は吸わねぇよ」
「んでも、コウモリが出るってことはドラキュラが出るかも…」
「ホラー映画でもあるまいし、ドラキュラなんていねぇよ」と笑った。
「タゲ先輩、ドラキュラは本当にあった話なんですよ。若しかしたら、ドラキュラがいるがも…」
 真沙美は、岳実の腕にすがり付いた。風呂上りの真沙美のいい香りが鼻腔をくすぐった。心臓がバクバク言って、何だか自分がドラキュラになってしまいそうな気分だった。

 少し歩くと墓石の上を、青白い炎のような物がゆらゆらと通過した。
「キャー、人魂」と叫んで、真沙美は岳実の背中にしがみ付いた。
「単なる人魂だよ。土葬した死体から発生したリンが、自然発火して光っているだげだよ」
 岳実は、人魂が香田たちの仕業だと知っていたので平気だったが、わざと真沙美を恐がらせるように言った。
「タゲ先輩、もう、戻りましょうよ」真沙美が、岳実の背中に抱き付いた。
 二つの柔らかい乳房の感触に岳実は興奮した。
「肝試しでは、一番奥の墓石さ置いである小石を持って帰らねぇば駄目なんだ」
「そこら辺さ転がってる石を持って帰りましょ」
「小石にはマジックで印が書いてあるがら誤魔化せねぇよ。もう少しだがら、頑張っていくべし」
 一番奥の墓石の手前では、大きな柳の木が枝を垂らし、風もないのに揺れていた。木陰からマントを羽織った人影が現れた。真沙美は、震えて岳実の背後に隠れた。
 こんな演出はなかったはずだと思ったが、香田が内緒で追加したのだろう。顔は真っ白で、目が真っ赤に充血していた。赤く裂けた口には大きな牙があった。
「きゃー、ドラキュラー」
 真沙美は叫んで、しゃがみ込んだ。男が羽織っていたマントを広げた。シャキモコを穿いただけの姿だった。
「きゃー、変態!」
 真沙美が、道端の小石を拾って投げ付けた。男は、コウモリのようにマントをひるがえして墓石の裏に逃げ去った。

 岳実たちは、ようやく一番奥の大きな墓に着いて、置いてあった石を手にした。その時、後ろから肩を叩かれたので、振り返ったが誰もいなかった。何か、背筋に寒気を感じた。
「マーちゃん、今、我の肩を叩いだ?」
「いえ、叩いでませんよ。ずっと、タゲ先輩の横にいましたよ」
「おかしいな、誰がに肩を叩がれた気がしたんだ」
「タゲ先輩、おっこねぇがら、冗談は止めてくださいよ」
 真沙美は、泣きそうな声を出した。その時、ザー、ザーという何かを擦って歩くような足音が聞こえた。恐る恐る音の方へ近付いてみると、無縁仏の前に、落ち武者のような格好をした男が立っていた。破けた甲冑からは血が滴り、顔は骸骨だった。
 よく、ここまで凝った演出をしたもんだ…と岳実は、感心した。これが演出だと知らなければ、腰を抜かしていたことだろう。真沙美の手を取って立ち去ろうとした瞬間、落ち武者の首が転げ落ちた。そして、首の無くなった胴体が諸手を挙げて向かってきた。演出とは言え、余りの恐ろしさに、真沙美の手を引いて全速力で走って逃げた。

 合宿所の部屋に戻ってから、岳実は、二段ベッドの上にいる香田に聞いた。
「今年の肝試しの演出は随分と気合が入ってだな」
「まーな、雑貨屋さ行って、ドラキュラのグッズを買ってきたんだ」と得意気に言った。
「ドラキュラは、大した事ねがったばって、あの落ち武者は、マジでおっこねぇがった」
「落ち武者?そんな演出はしてねぇぞ」
「ちょっと、とぼげるなよ。我を、びびらせようど思ってらんだべ?」
「何も、嘘じゃねよ。なぁ、みんな」
 香田は他の2年生に問いかけた。全員、落ち武者など知らないと答えた。
「戊辰戦争で死んだ兵士の霊が出るっていう噂は聞いた事があるばって、本当に出るんだな」
 香田が、実しやかに言った。
 岳実は布団を被って目を閉じた。

 第36章 終了