第34章/告白宣言

 夏休みの午前の部活が終わった後、香田がブルーウィンドについて聞いてきた。香田のチームは、大会に向けて練習をしていないので、岳実たちが週に2回練習していると聞いて驚いた。それぞれのチームが勝ちあがれば、準決勝で当たることになるので、岳実は詳しい事は言わないで適当にはぐらかした。
 居残り練習が終わってから、慎一郎と一緒に、高校の近くの金坂食堂で昼飯を食べた。比内地鶏ラーメンを啜っていると、慎一郎が唐突に宣言した。
「我、芹奈ちゃんさ、告白することに決めだ」
 岳実は思わずラーメンを吐き出しそうになった。
「ちょっと、慎ちゃん。スリーオンスリーの大会終わってがらの方が良いんでねぇの?」
 岳実は芹奈に彼氏がいる事を知っていたので、慎一郎が告白して振られてしまっては、チーム内がギクシャクしてしまうと思った。
「もう我慢できねぇんだ」慎一郎は振り絞るような声で言った。
「もし彼氏いたら、どうする?」
「彼氏がいても関係ねぇよ」
「せば、あらかじめ言っておぐばって、芹奈さは、彼氏いるよ」
「そっか、いるのが…んでも、兎に角、この気持ちを伝えてぇんだ。タゲ、芹奈ちゃんの電話番号教えでけれ、頼む」慎一郎は、箸を置いて身を乗り出した。
 慎一郎の気迫に負けて電話番号を教えた。
「んで、タゲは、どうするの?」慎一郎が尋ねた。
「どうするって、何が?」
「惚けるなって。ヨッコが好きなんだべ。いつ、告白するんだ?」
「別に、告白なんてするつもりねぇよ」
「そんた事言ってるど、他の男に取られるぞ。今日、これから会うんだべ?」
「一応、本屋で待ち合わせしてるばって…」
「せば、今日が、絶好のチャンスだな。頑張れよ」
「今日はユニフォームの代金を渡すだけだよ。それにまだ、練習とかで会えるし、そんたに焦る事もねぇよ」と強がった。
「タゲがそういうなら、別に良いばってや。後で、後悔してもしらねぇぞ」
「慎ちゃんこそ、焦って告白して振られても知らねぇぞ」
 二人は、それ以上何も言わなかった。

 昼食後、慎一郎と別れて、洋子との待ち合わせ場所の又九書店に向かった。入口付近に、洋子の姿は見当たらなかったので、バスケ雑誌や、ファッション誌のコーナーに行ってみたが、いなかった。広い店内を一巡りして、ようやく一番奥の赤本コーナーで洋子を見つけた。赤本というのは、各大学の入試の過去問や傾向が書かれている本で、表紙が赤いので、そう呼ばれている。
 洋子は集中して読んでいて近付いても気が付かなかった。手にしていたのは、東京外語大の赤本だった。理系の岳実には縁遠い大学だ。
「外語大を志望してるんだな」
「何だ、タゲ、来てたんだば、声かけてよ」洋子は少し恥ずかしいそうに言った。
「わったり真剣な顔して読んでがら、声掛けづらがったんだ。それにしても、東京外語なんて、かなりの難関大だな。ヨッコは、レベルが高いな」
「今のところ、行ければいいなぁって思ってるくらいだから…んでも、何とか合格できるように、頑張って勉強してるんだ」洋子の瞳は凛と輝いていた。
「ヨッコだったら、きっと合格できるよ」
「ありがとう。んで、タゲは、どこの大学が志望なの?」
「特にまだ決めでねぇんだ。親には国公立じゃねぇと駄目だって言われでらがら、まぁ、近場の国
立大学だな。所で、ユニフォーム代、持って来たばって、我もスポーツ店さ一緒に行って良い?」
「うん、いいよ。そっちの方が、こっちも助かるし」洋子は優しく微笑んだ。

 店内に入ると、洋子が目聡く店長を見つけて、ユニフォームを受け取りに来た事を告げた。すると、岳実たちは、店内の一角にある商談スペースに案内された。店長が、若い店員に指示して注文の品を取りに行かせた。
「あのう、質問があるんですが宜しいですか?」洋子は尋ねた。
「はぁ、私で答えられる事だば、何なりと」店長が言った。
「この記事、見覚えありますよね?」
 洋子は、スポーツバックから新聞を出して机の上に広げた。スリーオンスリー大会の特集記事だった。
「この記事は私も見ましたよ。なかなか、いい記事でしたね。協賛している我が社としては、広告効果もあって、わったり助かりましたよ」と満面の笑みを浮かべた。
「質問したいのは、記事の内容についてです」
 洋子は、探るような目つきで店長の顔をマジマジと見詰めた。
「はぁ、記事の内容ね。航貴くんとあなたの話が出てましたね…」
「私は、新聞社からは全く取材を受けていません。にも関わらず、こういう記事が出るのは、おかしいと思うんです」
「あんたが受げでねくっても、航貴くんが、受げだんでねぇの?」
「兄に電話で聞いだら、取材は一切受けてねぇって言ってました」
「それだば、記者が、関係者から聞いた話っこを集めて書いだんだすべ。新聞って言っても、人間が書くわけだがら、脚色を付ける事は良くあることだ」店長の声は上ずり、目が落ち着きなく動いた。
「この間、ここで話した事ど、記事の内容が合ってるんですよ。記事が洩れだとすると、ここの店がらだと思うんです」
 問い詰められた店長は目を伏せて、ポケットから煙草を取り出した。ライターで火を付けようとしたが、手が小刻みに震えてうまく付けれなかった。ようやく火をつけて、タバコを深々と吸ってから、溜息混じりに煙を吐き出した。
「あんたの友達が、新聞社に話したんでねぇの」
「友達さも聞きました。話をした人は誰もいねがったんですよ。店長さん、そろそろ惚けるのは、止めにすれば?」
「と、惚けるだなんて…」店長がうろたえた。
「店長さん、記事のここに、何て書いでますか?」
 洋子は担当記者の名前を指差した。武山一豊(かずとよ)と書かれていた。
「店長さんの名前も、同じ武山ですよね?」
「ここら辺には武山って苗字は多いがらなぁ」
「まだ、しらを切る気ですか。一豊って記者は、あなたの息子さんでしょ?」洋子は、店長に引導を渡した。
「申し訳ねぇ。悪気はねがったんだ。有名な航貴くんの兄妹対決っていうネタがあれば、大会がもっと盛り上がるど思ったんだ。それで、息子がその新聞社で働いでることもあって、編集長さ、ちょっと話したんだ」と弁解した。
「おかげで、私は母さんに、こっぴどく怒られましたよ」洋子は、不機嫌に言った。

 険悪なムードの中、店員が、ユニフォームを持ってやってきた。店長は、それを受け取るとTシャツを広げて見せた。風紋のような模様に、Blue Windと白地でプリントされていた。爽やかな風を感じさせる出来栄えだった。
「カタログよりも、いい感じに仕上がってると思いますよ」店長が手前味噌に褒めた。
 洋子も満足しているようだった。
「所で店長さん。記事の件での誠意は、どのくらいですか?」洋子は不敵な視線を店長に向けた。
「せ、誠意だすか…。せば、お詫びの気持ちを入れて、1割引きでどうですか?」
「1割?この記事を読むと、何だか私がスケ番みたいですよね。せめて、これぐらいは」
 洋子は、指を3本立てた。
「3割も引いだら赤字だすよ。何とか2割で許してけれす」店長は、困り顔で頭を下げた。
「分がりました。んだば、2割引きでお願いしますね」
「いやぁ、参った。将来は、やり繰り上手の奥さんになるよ」
「うちの母さんは、毎日、八百屋や魚屋で負けてもらってますよ」
「なるほど、母親譲りですか。冗談抜きで、うちの営業に欲しい所だな。高校卒業したら、うちの会社で働かねぇが?」
「私、大学さ進学するつもりなんです」
「大学なんか行っても遊んでるだけだ。うちの息子なんて、遊んだ挙句に2年も留年して、今年ようやく就職したんだ」
「お気遣いなく。私は大学でちゃんと勉強するつもりですから」
「うちの馬鹿息子と比べたのが間違いだったな」店長は苦笑した。

 最終的に、2割引きで話がまとまり、スポーツ店を出た。
 自転車に近付くにつれて鼓動が高鳴った。正直な所、慎一郎が告白すると聞いて焦っていた。自分の気持ちを洋子に伝えないといけない…とは思ってはいたが、その一歩が踏み出せないままだった。
 告白しようと思えば思うほど、胸が締め付けられた。意識すればするほど、どういう言葉で告白していいか分からなくなった。何も言えないまま、自転車の前に着いた。洋子が自転車の鍵を外しているのを横で見ながら、大きく息を吐き、勇気を振り絞った。
「ヨッコ、もし良かったら、お茶でもしねぇが?」
「ごめん、これから、友達と図書館で勉強する約束してらんだ」
「約束があるんだば仕方ねぇな…」と肩を落とした。
「タゲも一緒に行く?図書館は、クーラーで涼しいから快適だよ」
 岳実は考えた。スポーツバッグには、英単語帳や数学公式集が入っていた。しかし、洋子の友達が、女なら良いが…もし男だったら救いようがない。女か男かを聞く事は恐くてできなかった。
「ごめん、勉強道具を持て来てねぇがら、遠慮しておくよ」と断った。
「そっか、んだば、今度、また誘ってね」
 洋子はそう言って微笑んだ。しかし、それは、社交辞令にも聞こえた。

 落ち込んだまま、帰路に着いた。頭の中がモヤモヤして、ペダルがいつもよりも重く感じた。
 道路沿いの桂城公園に入り、ベンチに座って今日の事を省(かえり)みた。まず、洋子の予定を確かめずに、お茶に誘ったのは浅はかだった。しかし、断るにしても、少しは躊躇してくれてもいいのに…微塵の躊躇もなく断った。難関大学を目指しているので勉強は大事だ。それに、バスケ部のキャプテンや、大文字太鼓の指導もしていて忙しい。きっと、岳実と遊んでいる暇なんてないのだろう。
 所詮、自分なんて、バスケも勉強も二流だ。そもそも、惚れた事が間違いだったのだ。自虐的な物思いにふけていると、目の前の噴水が急に吹き上がり水飛沫が空に舞った。
 水飛沫は、小さな虹を作り、岳実の頬を濡らした。冷たさが心地よかった。ふと慎一郎の事を思い出した。告白するといきり立っていたが、上手く行くだろうか…慎一郎の向こう見ずな勇気が羨ましく思えた。

 第34章 終了