第29章/サンマヤで買う物は?

 プールの翌日は、全身がだるく、バスケの練習がきつかった。その日の練習後、香田が「これからデートなんだ」と自慢げに笑みを浮かべて足早に帰った。香田の浮かれた顔を見て居残り練習が少し馬鹿らしくなったが、芹奈の言葉を思い出し体に鞭打って、ドリブルの基本練習をやった。慎一郎も、黙々とダンクの特訓をしていた。
 居残り練習が終わってから、慎一郎と二人で、高校の近くにある金坂食堂に昼飯を食べに行った。
 慎一郎はカツ丼の大盛り、岳実は 比内地鶏ラーメンを食べた。
「慎ちゃん、もうダビングした?」とラーメンを啜りながら尋ねた。
「タゲに何かダビングを頼まれてだっけ?」
「いや、我でねくって、昨日、ヨッコに尾崎のダビングを頼まれでだべ?」
「あぁ、ヨッコに頼まれたやつか。昨日は、疲れてバタンキュウだったがら、まだしてねぇよ。今度の練習までにはやるつもりだ。若しかして、タゲもダビングして欲しいの?」
「いや、別に、我は興味ねぇばって…」と素っ気ない素振りを装って、ラーメンを啜った。
「バスの中で聴いてたのは、十七歳の地図っていうアルバムなんだ」慎一郎が、呟いた。
「なかなか、良い曲だったべ。ヨッコもあのアルバムが一番好きだって言ってだよ」
「何だ、慎ちゃん、気付いてたのが…」と苦笑いした。
「気付いてたよ。それにしても、何回も尾崎を薦めても、耳を貸さなかったタゲが、興味を持つなんて、好きな女子(おなご)ができると違うな」
「何も、そんなんじゃねぇよ」
「良かったら、タゲさもダビングするが?」
「いいよ、別に。ちょっと齧り聴きして見ただけだがら。我は、やっぱり、ビートルズの方が良いよ」と強がった。
「あっ、そう。せっかく、親切で言ったのに」慎一郎は、面白くなさそうな顔をした。

 昼食後、慎一郎と別れてから、いつものルートで家路に着いた。だが、それは慎一郎の目を欺(あざむ)くための行動だった。途中で方向転換してレコード屋に向かった。
 お目当てのレコード屋は、商店街の一画にあった。レトロな色彩で「サンマヤ」という看板が掲げらていた。何故、魚の名が付いてるのかは、地元高校生の七不思議の一つだった。芹奈の話では、先祖が、津軽の「三厩(みんまや)」出身で、始めは、ミンマヤという看板を出していたが、客が「サンマヤ」と読み間違っているうちに、それが店名になったという話だった。しかし、香田は、昔の屋号が「サンマヤ」でそれを店の名前にしたと言っていた。結局、真相はよく分からない。

 岳実は自転車でサンマヤの正面を通り過ぎてから、横丁に入って裏通りに回り自転車を停めた。それから、窓越しに店内を窺って、顔見知りが居ないかを確認してから中へ入った。
 数分間、店内を回って様子を窺った。店頭に並んでいるのは、CDが主流だった。レコードは、絵画でも飾るように壁に掲げられていた。
 知り合いが誰もいないのを確認してから尾崎豊のコーナーで立ち止まった。岳実は、CDプレイヤーを持っていなかったので、カセットテープを手に取った。心の中でビートルズに詫びた。
「ごめん、ジョン。ちょっとだけ浮気をさせてもらうよ。ジョンも自分の好きな女の子が聴いている音楽を聴いてみたいと思うだろう。今日だけは、見逃してくれよ、ちょっと聴いたら、またビートルズに戻るからさ」
 尾崎のアルバムを携えて、急ぎ足でレジに向かった。支払いを済ませて、一刻も早くカセットを鞄の中にしまいたかった。
 逸る気持ちとは裏腹に、主人は、
「ごめん。ちょっとだけ、待ってけれな」と、やりかけの伝票整理の作業を続けた。
 何度か急かしたが、主人は何処吹く風でのんびりと対応した。

 数分後、ようやく、主人がレジに取り掛かった。
「にいちゃん、カセットで良いんだが?CDもあるよ」主人が尋ねた。
「いや、カセットで良いです」
「最近の若げ者は、もっぱらCDだばってな」
「CDプレイヤー持ってねぇんだすよ。それよりも、早くレジしてけねすか?」
 岳実は少し苛立ったが、主人はマイペースに話を続けた。
「うちの息子も尾崎が好きなんだよ。部屋の壁一面が、尾崎のポスターだ。ニューアルバムも出だがら良かったら今度、買ってけれ。当店のオリジナルポスター付きだよ」主人は饒舌(じょうぜつ)だった。
「あれっ、若しかしてタゲ先輩?」と後ろから声を掛けられた。
 岳実は、聞こえない振りをした。
「毎度、ありがとうございました」
 主人は笑顔だったが、笑顔よりも迅速なレジが欲しかった。
「タゲ先輩」と弾むような声で肩を叩かれた。
 平静を装って振り向いた。女子マネージャーの真沙美だった。キャミソールを着ていて、露出した肩や胸元が眩しかった。真沙美は、女友達と一緒だった。
「タゲ先輩、何買ったんですか?」
 真沙美は、円(つぶ)らな瞳で興味深そうに尋ねた。
「これは、そうのう、何だ。大したもんでねぇ」と作り笑いで、はぐらかした。
「尾崎豊だよ」主人が、ニコニコして言った。
「ふざけるなよ、何であんたがばらすんだよ」と、心の中で叫んで、店主を睨んだ。
「タゲ先輩はビートルズ好きって聞いてだばって、尾崎も聴くんですね」
「いやー、これには深い訳があって…そのう、妹に頼まれて」と下手たな嘘を付いた。
「あれっ、タゲ先輩って一人っ子ですねよね?」
 真沙美は首を傾げた。
「マーちゃん、お願いがあるんだばって…」
「何ですか?」
「尾崎のアルバム買ってだことは、バスケ部の連中さは喋らねぇで。お願い」
「うーん、どうしようかな」
「頼む、秘密にしてけれ。絶対に喋らねぇで。特に、香田と慎ちゃんには、内緒にして欲しいんだ」
「二人だけの秘密ってやつですね。良いですよ」
「本当?マーちゃん、ありがとう」と胸を撫で下ろした。
「ただし、私のお願いも聞いて欲しいなぁ」
「まぁ、聞くだけなら…」
「タゲ先輩、これから何か用事あるんですか?」
「いや、特にねぇよ」
「んだば、喫茶店さ付き合って下さい。美味しいアップルパイがあるんですよ。CD買ったら、友達と一緒に行くつもりだったんですよ。もちろん、タゲ先輩の奢りで」
 真沙美は、零れ落ちそうな円らな瞳を瞬かせた。
「アップルパイだったら、お安い御用だ」
 岳実は、胸を撫で下ろした。アップルパイで、ビートルズフリークの面子が保てるなら安いものだ。
「これから友達とジャズのCD探すがら、ちょっと待ってでくださいね」
 ジャズと聞いて、岳実は少し気が引けた。友人の中でジャズを聴いている人はいなかったので、真沙美が大人びて見えた。

 岳実は、一足先に外に出て待っていたが、しばらくして、真沙美が友人と一緒に店から出てきた。
「タゲ先輩、お待たせ。えーとですね、こちらは、幼馴染の早紀です」
 長い髪は背中まで伸び、銀縁の眼鏡が、知的さを漂わせていた。キャミソールの真沙美とは対照的に、半袖の白いワンピースを着ていて、落ち着いた感じの女の子だった。
「どうも、早紀です。真沙美とは幼馴染で、中学校で一緒にブラバンをやってだんです」
「どうも、倉内岳実です。えーと、桂鳴(けいめい)高校の二年で、バスケ部です」
「真沙美との会話で、時々、タゲ先輩が出て来るんで、どんた人がなぁって思ってだんですよ。今日は、折角の所、邪魔してごめんなさいね」
 早紀は礼儀正しくお辞儀をした。
「何も、こっちこそ、急に邪魔して申し訳ねぇ」
「私が居ない方が良いかなって思ったんだばって、アップルパイを奢ってけるって言うんで着いて行くことにしました。ごめんなさいね、食い意地張ってる女で。んでも、ジャムセッションのアップルパイは、何個でも食べれるぐらい旨(んめ)ですよ」早紀は目を細めて快活に笑った。
「遠慮しねぇで何個でも食べてけれ」と大見得を切った。
「せば、腹つぇぐなるまで、いっぱい食べますよ」
 早紀と真沙美は、視線を合わて笑った。

 第29章 終了