第22章/アイノリへ行こう

 練習が終わってから、岳実は、慎一郎と一緒にトイレに行った。
 途中で、野球場の外壁に大きな看板が立ててあるのに気付いた。プロ野球の二軍の遠征試合が、数日後にあるらしい。看板に、「プロ野球の試合の為、公園内の施設は、終日、一般使用は出来ません」と書かれていた。
「あれっ、野球の試合の日って、次の練習日でねぇが?」慎一郎が、言った。
「んだな」と頷いた。
「これは困ったな」
「後で、芹奈たちと相談してみるべし」

 トイレで用を済ませてから、プレイグラウンドに戻ったが、芹奈たちはまだ戻っていなかったので、ベンチに腰掛けて待った。
 達子森の方から、ヒグラシの儚げな声が響いてきた。物悲しい気持ちになる音色だった。同じ蝉でも喧しいアブラゼミとは対照的だ。慎一郎は、ヒグラシには耳も貸さずイヤホンで、尾崎を聴いていた。

 岳実は、ベンチに背凭れて夕空を眺めた。凸凹した山並みの上に、赤い太陽が顎(あご)を乗せていた。瞬きする度に太陽の残像が、瞼の中に黒点のような染みとなって漂った。目を細めて眺めると、睫毛がフィルターのような作用をして、夕日が卵の黄身のように見えた。
 西の空には、紫雲に陰る白神山地の稜線が連なっていた。夕日が雲底を赤く染めなが沈んでいった。夕焼け雲が色褪せてきた頃、芹奈たちが着替えから戻ってきた。
「次の練習日は、野球の試合でここが使えねぇみてぇだよ。いっそう、休みにして、みんなで、相乗(あいのり)温泉のプールさでも遊びに行がねぇが?」
 岳実は、駄目もとで提案してみた。正直言って、下心がまる見えの提案は却下されると思った。ちなみに、相乗温泉と言うのは地元でレジャープールがある温泉だ。
「おっ、それ良いな」慎一郎が、賛同した。
「んだなぁ、たまには息抜きも必要だなぁ」思いがけず、洋子も話に乗ってきた。
「プールかぁ…」芹奈が、疑わしい目を岳実を見た。
「ずっと練習漬けだったがら、一日ぐらい遊んでも良いべしゃ」と、言った。
「確かに、ちょっとぐらい息抜きした方が良いかもね」洋子が、後押しした。
「せば、みんなで、相乗温泉さ行くが」芹奈も、賛成した。

 岳実は、後ろ手でガッツポーズをした。
 やったー!もしかしたら、洋子のビキニ姿を拝めるかも知れない。水心あれば魚心。男心あれば下心だ。
「晴れたらアイノリで、雨だったら図書館で勉強するか」芹奈が、言った。
「アイノリだったら雨降っても温泉さ入れるよ」岳実は、反論した。
「温泉だけだったら、別にアイノリまで行がねぇくっても、そこら辺の温泉でいいべ」芹奈が、言った。
「せば、雨降ったらハチ公温泉にしようよ」慎一郎が、岳実を見て、ニヤけた。
「慎ちゃんの馬鹿たれ。そんな顔してたら悪事がばれてしまうべ」岳実は、心の中で叫んだ。
 岳実は勘繰られないように、呆けた表情を作って慎一郎の言葉を聞き流した。
「所で二人とも、なして、そんなに温泉さこだわるの?」芹奈が、腕を組んで強い口調で言った。
 岳実は、ビクッと身を固くした。
「アイノリ温泉より、ハチ公温泉の方が近いかなと思っただけなんだ。別に、温泉にこだわってる訳ではねぇよ。な、なぁ、タゲ?」慎一郎が、岳実に視線を送った。
「んだな…、せば雨が降ったら、図書館で勉強するべし」
 岳実は早口で答えてから、目を芹奈から、白神山地の夕焼けに向けて、
「いやぁ、それにしても、今日は夕焼けが綺麗だなぁ」と、呟いた。

 第22章 終了