第20章/天国に一番近い場所

 練習試合で、大館商工に負けてから、コーチの怒りに火がついて、厳しい夏休みの練習がより厳しくなった。岳実と慎一郎は、居残り練習を終えた後、いつものように、自動販売機にジュースを買いにいった。
「タゲ、一つ聞きてぇことあるんだ」慎一郎が、ジュースを飲みながら尋ねた。
「あのさぁ、芹奈ちゃんには、何ていうのがな…彼氏いるんだが?」
「さぁ、どうだべな」
「幼馴染でも、分からねぇの?」
「浮いた話も聞かねぇがら、多分、彼氏はいねぇんじゃねぇが」と、軽い気持ちで答えた。
「そうか、いねぇのか」
 慎一郎は、はにかんだ笑顔を見せてから、ジュースを勢いよく飲んだ。

 その週のスリーオンスリーの練習日の朝、岳実が夏休みの宿題である数学の演習問題を解いていると、芹奈から電話が掛かってきた。
「タゲ、今日の午後は、用事ある?」
「特に、これと言った用事はねぇよ」
「せば、早めに達子森(たっこもり)さ行ぐべし」
「まさか、この炎天下で練習するの?」と、驚きの声を上げた。
「大会本番に備えた暑さ対策だ」
「勘弁してよ。熱中症でぶっ倒れてしまうよ」
「冗談だよ。母さんに挨拶しに行こうと思って」
「どういうこと?達子森さイタコでも呼ぶの?」
「イタコは呼ばねぇばって、達子森さ登るから上まで付き合ってよ」
「達子森かぁ…そういえば、最近、登ってねぇな」
「今月は、母さんの祥月(しょうげつ)なんだ。練習も夕方だし、お昼に登れば丁度良いべ」
「分がった。んで、何時に出発するの?」
「2時頃でいいが? 」
「うん、良いよ。せば2時に、芹奈の家さ迎えに行くよ」

 岳実が住む地域には、故人の冥福を祈るために達子森に登るという風習がある。命日から49日の間に登れば、死者は極楽浄土へ行けると信じられている。熱心な遺族は、49日の間に5回登る。古代の風習であった風葬の名残りという伝承もある。芹奈の母が亡くなった年も、岳実と芹奈は、達子森に登った。 

 昼食後、岳実は座布団を枕にして居間でテレビを見ていたが、いつの間にか昼寝をしてしまった。目が覚めると、1:30を過ぎていた。直ぐに部屋に戻って仕度をして、芹奈の家に向かった。玄関で呼び鈴を押すと、芹奈が直ぐに出てきた。
「芹奈の母さんさ、水っこ上げていい?」と、聞いた。
「うん、ありがとう。母さんも喜ぶよ」
 岳実は仏壇の前に座ってから、水桶からグラスに水を注ぎ仏前に上げた。そして、線香に火をつけて香炉に挿した。りん鐘を2度鳴らすと、余韻が染渡るように仏間に響いた。
 手を合わせて目を閉じた。瞳の奥で、芹奈の母が優しく笑っていた。
「お蔭様で、僕らも無事に大きくなり今年で17歳になります。これからも、天国から見守っていて下さい」と、心の中で芹奈の母に語りかけた。
 立ち上がると、芹奈が仏壇においてある小さな遺影と線香とマッチ箱をウエストポーチの中に入れた。

 青田風の中を、二人で自転車を走らせた。緩やかな東風が追い風になって、自転車はスイスイ進んだ。プレイグラウンドのある運動公園の東屋(あずまや)に、スポーツバックやボールを置いてから、達子森の登山道へ向かった。
 達子森は、標高が約200m、山頂までの道程は約1km。頂上には薬師神社が祭られている。登山というよりハイキングだ。登山道の入口には朱塗りの鳥居があった。大きな女郎蜘蛛(じょろうくも)が巣を張っていて、身もだえした揚羽蝶(あげはちょう)が引っかかっていた。

 山道を登っていくと、ミンミンゼミの大合唱が聞こえてきた。セミたちが、「もっと太陽をよこせ」と叫んでいるような錯覚に陥った。
「8月上旬だばって、もう秋が始まってるな」芹奈が山道に咲くハギやススキを指した。
「秋の七草だな」と、言った。
「タゲ、秋の七草を全部言える?」
「おお、言えるよ。萩(はぎ)の花 尾花(おばな)葛花(くずばな) 撫子(なでしこ)の花 女郎花(おみなえし) また藤袴(ふじばかま) 朝顔の花」と、胸を張った。
「ほう、やるね。せば、秋の七草の歌を詠んだ人は誰だ?」
「山上憶良(やまのうえのおくら)だべ」
「なかなか、やるね。タゲは、バスケと漫画にしか興味がねぇのかど思ってだよ」
「実は、1学期の国語のテストに出たんだ」
「何だ、そういうことか」
「そういうこと」と、笑った。
「こっちを秋の七草にたとえると、撫子の花って所かな」 芹奈が呟いた。
「芹奈は撫子って柄じゃねぇべ。葛がお似合いだよ。力強く相手さ絡まって、ぐんぐん勢力を広げていく感じが、ぴったしだな」と、自分のたとえに満足して頷いた。
「言わせておけば、この、もやしっ子」芹奈が首に掛けていたタオルを振り回した。
 岳実はヒョイッと身をひるがえしてかわした。
「くっそー、逃げ足だけは素早いな。それを、もう少しバスケに生かせれば良いんだばってなぁ」芹奈は皮肉を言ってからかった。

 山道には、色々な秋の花が咲いていた。芹奈が、花の一つ一つを教えてくれた。
「この時期に咲く花は、不思議と黄色が多いんだ。金色の猫の尻尾のような金水引(きんみずひき)。さり気無く咲いている弟切草(おとぎりそう)。可愛らしい外見とは裏腹にカミソリように鋭い葉っぱの剃刀菜(こうぞうりな)」
 岳実は芹奈と一緒に野山を駆け回って遊んでいた幼い頃を思い出した。芹奈の母が、ガーデニングが好きだったこともあり、芹奈は子供の頃から草花に親しかった。立ち葵やユリ、桔梗と言った庭の花や、菫(すみれ)や延齢草(えんれいそう)といった野の花の名前を芹奈が、岳実に教えてくれた。 

 9合目付近まで登った所で、芹奈が足元を指差して言った。
「小さい秋、見つけた」
 珠ような実を付けた野草の舞鶴草(まいづるそう)だった。
「めんこい実だな」
 芹奈が、道にしゃがみ込んで、舞鶴草の実を指先で突っついた。

 9合目から薬師神社に続く石階段を登って、頂上に着いた。神社の由緒書きによると、達子森は太古より聖なる頂として崇(あが)められてきた。江戸時代の享保の大飢饉で、ここ北秋田でも多くの餓死者を出し、路傍には累々(るいるい)たる屍(しかばね)が並び、供養もされずに風雨に晒され、野犬やカラスの餌となった。この世は地獄そのものだった。その後、死者の冥福と衆生(しゅじょう)の救済を願い、薬師如来像を安置し神社を勧進した、と記されている。
 神社の中に仏を祭るというのはおかしい気もするが、和洋折衷の得意な日本人らしい宗教観だと妙に納得した。
 社殿の左手には、先祖の供養祠があった。祠は石造りの頑丈な造りになっていて、石仏の室、木仏の室、巨石の室の三つに分かれていて、花瓶や蝋燭(ろうそく)、線香などは一通り揃っていた。
 巨石には大鈴と草履が掛かっていた。意味は良く分からなかったが、とりあえず手を合わせて拝んだ。祠には、小さな遺影がたくさん吊るされていた。祠は綺麗に掃除されていて、住民の信心深さが感じられた。
  芹奈が、母の遺影と供え菓子を取り出した。それから線香と蝋燭(ろうそく)に火をつけた。賽銭を入れてから、りん鐘を鳴らし、合掌瞑目(がっしょうめいもく)して静かに祈りを捧げた。
 参拝後、山頂からの景色を眺めた。神社の由緒書きには、「眺望絶佳」と書かれていた。すこし手前味噌な気もしたが、眺望は称賛に値する美しさだった。
 眼下に青田が広がり、散在する集落の屋根が日光を反照させていた。平野の向こうには、竜ヶ森(りゅうがもり)を最高峰とする比内連山が屏風のようにそびえていた。その右手奥にはピラミッド型の森吉山(もりよしさん)が見え、左手の彼方には八幡平(はちまんたい)が望めた。
 ちなみに、由緒書きには、四方が一望でき、田代岳(たしろだけ)などの白神山地も望めると書いてあったが、北側には大きな杉が生長したために、白神山地は見えなかった。

 青空に白い積雲が、ポワワーンと漂っていた。そこは、天国に一番近い場所だった。太古の人々が、ここに供養祠を祀った気持ちが理解できた。幾百年、幾千年の時代が流れ、風景は変わったかも知れない。しかし、先祖の冥福を祈り子孫の繁栄を願う人々の気持ちは変わらない。

 呆然と風景を眺めていると、芹奈が祠に供えた菓子を持ってきた。
「栗饅頭とドラ焼どっちが良い?」
「栗饅頭にするがな」
 芹奈と一緒に、神社の石段に腰を下ろして菓子を食べた。芹奈が持参したポットでお茶をくれた。
「そう言えば、大館商工との練習試合はどうだった?」芹奈が聞いた。
「負けたよ。15点差のぼろ負けだ」と、溜息交じりで答えた。
「商工に負けるようじゃ、新人戦は厳しいな」
「言われねくっても分がってらよ」と、ぶっきら棒に言った。
「あら、ごめん。結構、ショックなんだな。んで、タゲはスタメンだったの?」
「一応、スタメンだったよ。んでもシューティングガードだったんだ」
「へぇ、何時の間に、シューティングガードに転向したの?」
「我は、そういうつもりねぇんだばって、シュートの調子が良いから、コーチに、シューティングガードをやらせられてるんだ」
「贅沢言うなよ。試合に出られるだけ、ましだべ。少なくてもシュートは、認められたってことだ」
「まぁな。昨日の練習試合では桂鳴で一番、得点を取ったんだ」
「すごいっしゃ。居残り練習の成果が出たんだよ。いっその事、このまま、シューティングガードさ転向すれば?」
「我の目標は、あくまでもポイントガードのスタメンなんだ」
「ふーん、こだわるんだな。という事は、居残り練習で、ドリブルやパスの練習もしてらが?」
「いや。殆ど3点シュート練習だな」
「ドリブルとかパスもやれば」
「そんた基本的な練習を、今さらやるは馬鹿らしいよ」
「基本が一番大事なんだ。はっきり言わせて貰うばって、タゲは、ドリブルもパスも月並みなレベルだよ。もっと練習しねぇと、久保田くんや高橋よりも、巧くならねぇよ」
「そ、そんたことねぇべ。スピードは確かに久保田の方があるばって、ドリブルとかパスは負けてねぇよ…高橋にはまだ少し負けてるばって…」
 岳実は負け惜しみを言ったが、芹奈の言葉が耳に痛かった。

「同じレベルでスタメンの座が奪えるの?」という芹奈の言葉に、岳実は反論ができなかった。
「本当にポイントガードのスタメンになりてぇんだったら、死に物狂いで、ドリブルとパスの練習をした方がいいよ。んで、高橋と対戦してどうだった?」
「いいようにやられだよ。やっぱ、ポイントガードとしては、久保田よりも一枚も上手だな」
「と言うことは、タゲより2枚上手ってことだな。今のままだと、一生、高橋に負け続けるな」
「そんた事ねぇよ。追いつけるよ」
「今のままだば、絶対に無理だな」
「いや、実は明日からドリブルの秘密特訓するつもりだったんだ」と口から出任せを言った。
「あら、そうとは知らずに、ゴチャゴチャ説教しちゃって、ごめんね」芹奈がわざとらしく言った。

「タゲの話は、まず、置いて置くとして、慎ちゃんはどうだった?試合さ出た?」芹奈が、尋ねた。
「後半の残り10分から出て活躍したんだ。慎ちゃんのリバウンドで、うちのペースになって、もう少しで同点っていう所まで行ったんだ。んでも、馬鹿なコーチが勝負に焦ってオールコートプレスをさせたんだ。そのせいもあって、結局は15点差で負けたんだ」岳実は、首を振った。
「あら、自分たちはコーチの采配で負けたっていう口振りだな」
「あの局面では、オールコートプレスをする必要はねがったと思うな」
「んだば、オールコートプレスをしねがったら、商工には勝でだということ?」
 芹奈には言い訳は通じないと、岳実は観念して言った。
「商工に負けたのは、実力だよ。もう、言い訳はしねぇよ」
「あら、随分と物分りが良いんだな」
「芹奈には、口では勝てねぇがらな」岳実は、小声で独り言のように呟いた。
「タゲ、何か言った?」
「いや、別に…何も、独り言だ。そう、慎ちゃんを、もっと早く出してだら勝てたかも知れねぇなと思って」
「へぇ、そんたに凄がったの?」
「眠れる獅子がついに目覚めだって感じだったな」と、興奮して喋った。
「ちょっと、タゲ、唾飛ばさねぇでよ」
 芹奈が、手で顔を拭って、顰(しか)めっ面をした。
「悪りぃな、ちょっと興奮してしまった。それにしても、最初、四股踏んでるのを見た時はびっくりしたばってな」
「確かに、四股と股割りのアドバイスしたのは、こっちだ。んでも、その効果が出たのは慎ちゃんの努力の賜物(たまもの)だよ」
「んだなぁ、慎ちゃんは努力家だ。3日坊主の我が居残り練習を続けてるのは、慎ちゃんのおかげだな」
「タゲは慎ちゃんさ感謝しねぇば駄目だな。それに、こっちさもな」
「はっ?なして芹奈さ感謝しねぇまねぇの?」
「ヨッコに3点シュートで負げだがら、居残り練習を始めたんだべ。つまり、タゲのシュート力が上がったのは、タゲを練習に誘った私のお陰ってことだべ?」
「風が吹けば桶屋が儲かるみたい話だな。その理屈からすれば、ヨッコに感謝するのが筋だべ」
「なして?」芹奈は面白くない顔をした。
「だって元をたどれば、芹奈をスリーオンスリーに誘ったのはヨッコだべ」
「まぁ、それはそうだな」芹奈は苦笑いをした。

「いずれにしても、タゲと慎ちゃんが上達して優勝賞品のエアー・ジョーダンに近付いたのは間違いねぇな」
「今年のモデルは人気が高くて入手困難だがらな。ようし、頑張るぞ」岳実は強く頷いた。
 エアー・ジョーダンはバスケットをする者なら、一度は履いてみたい夢のバッシュだ。
「慎ちゃんの問題はシュートだな…」芹奈が呟いた。
「居残り練習でもシュートを熱心に練習してらばって、中々、上達しねぇんだ」と、やいた。
「リバウンド力は上がったばって、シュートの上達は時間が掛かるがらなぁ」
「いっその事、ダンクさせるか」と、冗談で言った。
「ダンクか…それ良いかもね」
「はぁ?冗談だよ、冗談」
「本気だよ。慎ちゃんは、ダンクできるんだべ?」
「できるばって、NBA選手みたいにはできねぇよ」
「慎ちゃんは、スタンディングジャンプからのダンクは出来るの?」
「中学でバレーをやってだがら、スタンディングからでもダンクできるがも知れねぇな」と、腕組みをして考えた。
 ちなみに、片足踏み切りからのジャンプをランニングジャンプ、両足踏み切りからジャンプをスタンディングジャンプという。一般的には、ランニングジャンプの方が高く飛べる。
「ヨッコから聞いた話だと、ダンクが出た方がイベントとして盛り上がるから、大会のリング10cm低くなるんだって」
「その高さだったら、我もダンクできるな」と、言った。
「タゲ、冗談は顔だけにしてよ」
「何だよ、冷たいな」
「タゲはダンクの前に練習することがあるべ」
「分がってらよ。冗談って喋ったべ」
「格好付けのタゲのことだから、どうせ、半分、本気で喋ったんだべ?」
 芹奈が、眉毛(まゆげ)をわざとらしく上下に動かした。図星を突かれたが、とぼけて栗饅頭に噛り付いた。

 芹奈が、祠の蝋燭の火を消し、供物や遺影を片付けた。それから、神社の前で手を合わせ、石階段を下りた。先を歩く芹奈に向かって尋ねた。
「所でさ、芹奈は彼氏いるの?」
「何よ、不躾(ぶしつけ)に」芹奈が立ち止まって振り向いた。
 中学の頃、芹奈はバスケ部の一つ上の先輩と付き合っていた。高校に入ってから、その関係がどうなったのかまでは、知らなかった。
「一応、いることになるのかなぁ」と芹奈は、煮え切らない返事だった。
「何、その一応って?まだ、佐々木先輩と付き合ってらの?」
「先輩は、大学受験の勉強で、こっちと遊んでる時間なんてねぇんだ。こっちも部活が忙しいから、最近は殆ど会ってねぇんだ。んでも、何でそんたことを聞くの?」
「何だ。そうのう、あのう、佐々木先輩は元気かなぁって思って…」と、しどろもどろな返事をした。
 本当は思いきって、「慎ちゃんは、お前に惚れてるぞ」とぶちまけたかった。しかし、先走った事を言って事態がこじれるのが嫌だったので、適当に話題を変えた。
「所でさ、今日のヨッコの用事って何だが知ってらが?」
「さぁ、デートでもしてるんじゃねぇの」
 その言葉に、岳実は、言葉を失って、固まった。
 今、岳実が馬鹿面下げて山道を歩いている間にも、洋子は彼氏と手を繋いでいるのかも知れない。若しかしたらラブホテルで…あんな事なんかを…岳実は言葉を失って項垂れた。
「何てね、冗談だよ。太鼓の練習指導だって」
「何だよ、太鼓の練習かぁ」岳実は胸を撫で下ろした。
「ヨッコは、大文字太鼓をやってるんだ。今日は、小学生たちの指導を頼まれたらしいんだ」
「ヨッコが太鼓をやってたのは知らねがったな」
 岳実は洋子が胸に晒しを巻きながら太鼓を叩いている姿を想像した。
「午前中は太鼓の練習って言ってだばって、昼から何してるのかは知らねぇな。若しかしたら、太鼓仲間の素敵な人とデートでもしてるがも知れねぇな…」そういって芹奈がにやけた。
「えぇ、まじで」と、大きな声を上げてから、肩を落とした。
「冗談だよ。タゲって、本当、分かりやすいな。タゲは、ヨッコさ気があるんだべ?」
「何だよ。かっ、勝手に決めるなよ」
「ヨッコは、めんこいし性格も良いがら、もてるんだよ。 鳳女子でも人気があるからねぇ」
「鳳女子は女子高だべ。同性の間で人気があるってのは、もてるっては言わねぇべ」
「去年のバレンタインでも、いっぱいチョコ貰ってだし。あの好かれようは女の友情の域(いき)を超えてるなぁ」芹奈が悪戯っ子のように微笑んだ。
 岳実の脳裏に妖艶な情景が浮んだ。淫らな女が、洋子を危険な遊びへ誘(いざな)っていく…
「馬鹿たれ、ヨッコがレズな訳ねぇべ」岳実は大声で言った。
「ちょっと、タゲ、急に馬鹿でかい声出さねぇでよ。鼓膜(こまく)破けるかと思ったよ。大袈裟に言っただけだよ。んでも、バレンタインのチョコを貰ったっていうのは本当だよ。ヨッコは面倒見が良いから後輩に好かれるんだ。それをタゲみたいに、レズだって目くじら立ででだら、女子高生の大半がレズってことになってしまうよ」芹奈はあっけらかんと笑った。
「それで、ヨッコさは彼氏いるの?」岳実は話の流れに便乗して聞いた。
 芹奈は、一瞬、考えてから言った。
「さぁね、自分で聞いでみれば」
「そんたこと言わねぇで教えてよ」
「若し彼氏がいたら諦めるの?」
「諦めるかな…多分」
「じぐなし」
 芹奈が言った。じぐなしとは【根性なし】と言う意味だ。
「そんた半端(はんぱ)な気持ちだば無理だな。男だったら、ガツーンと告白しねぇと、ガツーンと」
「そう簡単にできたら苦労はしねぇよ。意地悪しねぇで教えてよ」
「こっちは、意地悪で言ってる訳じゃねぇよ。本当に好きなら彼氏がいても告白するべ」
「もし告白して振られたら、練習で会うのが気まずくなるべ」
「はーっ、そんた事を気にしてるようだば駄目だな。本当に好きだったら、その気持ちを胸に閉まっておけねぇはずだ。出直してこい」
 芹奈が岳実の胸をドンと叩いた。確かに、芹奈の言うことにも一理(いちり)ある。しかし、玉砕覚悟の正面突撃。そんな無謀な恋路の橋を渡ることは…できそうになかった。

 第20章 終了